中日本アパレルシステムサイエンスとアパレルCADの歴史小話ー3

前回は、日本の経済成長による洋服の需要とともに、大量生産のためのシステムの一環としてアパレルCADが開発されてきたものの、まだ価格や専門スキルの問題があったというお話でした。
今回は1990年代からコンピューターの発展によって、CAD普及が広がってきたことについてお話させていただきます。

パターンCADが多くのアパレル関係企業に普及するには、扱いやすさと価格が下がることは必須条件でした。そこで使いやすさという点で重要だったのがコンピューターにGUI・グラフィカルユーザーインターフェース(graphical user interface)の技術です。GUIは現在使用しているコンピュータ画面やスマホ画面のように、【ウィンドウ】【アイコン】【ボタン】【カーソル】などが表示される画面のこと。GUIの技術があるからこそ、ユーザーが視覚的に操作できるという、分かりやすさと使いやすさの根幹となっている部分でもあります。

1984(昭和59)年1月24日に、米アップルが「Macintosh(マッキントッシュ)」を発売しました。これが初めて一般ユーザー向けにGUIを標準搭載したパソコンといわれています。当時は日本円で約70万円くらいだったということですが、これでも画期的ながら非常に低価格だったそうです。

その後windowsでもGUIが採用されて、今のパソコン・スマートフォン・ATM端末の画面などにも繋がっていっているということです。

*写真はイメージです

一方で、東レ株式会社ACS室から1988年にDOS/V版が発売されていました。このような黒の画面に緑色の文字や線が描かれているコンピュータ画面です。NASSの現役社員では、実際に操作経験のある社員は一人だけということになっています。

WindowsOSのパソコンが企業でも導入されはじめ、1995年には機能性・実用性を向上させて現在の使用しているWindowsPCの基礎ともいえるWindows 95は、発売4日で400万本の売り上げを記録。これ以降に開発されるOSの標準としての地位を獲得しました。

そして1998年にWindows版CADシステム「CREACOMPO(クレアコンポ)」の発売がスタートしました。とはいえ、もちろんすぐに普及していったわけではありません。その後もNASSでは手描きされたパターンをデジタイザーで取り込んでDOS/V版のCADシステムを使ってグレーディングを請け負うという仕事が大半を占めていました。

実はNASSの社内にもWindows版が1台導入されたものの、新しいものの操作を覚えるのが手間で今までのやり方の方が早いという感じで、積極的に操作を覚えようという人は少なかったということです。

今の視点から見てみると、こんなに使いやすいツールを習得しようとしないなんておかしいという風に見えてしまうかもしれませんが、自身がその状況の真っただ中にいると、俯瞰して見るのは難しいものだと思います。今で言えばAI技術と同じとような構図が見えてきますね。

衣料業界で見ると、1990年には約50%が国内で生産されていたましたが、1991年のバブル崩壊とともに安さを求めて海外生産へのシフトが一気に加速して、2000年頃には90%近くまで上昇しました。2000年はちょうどユニクロが50色のフリースを展開してTVCMも放映されたことで大ヒットした年でもあります。ここからファストファッションブランドの存在感が増してきます。

1991年には衣料品の国内売り上げ規模が15.1兆円だったものが、2000年には12兆円を下回ってしまいます。

こうして見てみると、日本でのアパレルCAD開発は衣料品の売り上げがずっと右肩上がりのときにようやく導入され始めて、これから本格的に普及していくタイミングで国内ファッション業界の過渡期を迎えたということだったのでしょう。

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