中日本アパレルシステムサイエンスとアパレルCADの歴史小話ー1
早いもので2024年もあと一週間程度となりました。せっかくなので、少し日本のファッション・アパレル産業の変遷とともにNASSの歴史を振り返ってみたいと思います。
弊社は1972年(昭和47年)に設立されました。1972年前後の日本は高度経済成長期の後期にあたります。ファッションの中心となっている学生や20代前半の若い人は、大学自治の権利を求めた抗議活動を行ったり、ベトナム戦争への反対運動、安保闘争などの真っただ中にいた世代となっています。
そのような背景の中で1972年12月6日に全国で先駆けてアパレルコンピュータシステムを導入したコンピュータグレーディングの共同利用センターとして設立することになったのです。
さらにこの時期は第二次ベビーブームでもあり、今後も人口が増え続けると見込まれていたときに、大量の服を効率よく生産するという要望にお応えすべくスタートを切ったということです。
当時のアパレルCADを導入するには、一千万円以上のコストが掛かっていました。さらにプロッターなどの周辺機器を合わせると、数千万円の初期投資が必要でしたので、アパレル企業でのCADの導入は大手企業様に限られていたようです。
そんな状況下でNASSは、多くのアパレル製造企業のパターングレーディングを担うことで生産の効率化とコストカットに貢献できたのではないかと思います。当時はグレーディング事業のみで年間〇億円の売り上げとなっていて、ファッション産業全体が右肩上がりだったのでしょう。
現在からイメージするのは非常に難しいのですが、神戸大学の平芳裕子先生の著書【日本ファッションの150年】によると、コート・スーツ・ワンピース・スカート・スラックスの5品目の既製服化率は、1965年で30.3%、1970年で45%程度だったとのことです。
実際に70代半の方にお話を聞くと、「子供のころの服はほとんどが母親に作ってもらっていた。」「母親は、縫製も編み物も全部できた。」と話していました。
NASSを設立した先人たちは、まだまだ普及率の低かった既製服を、多くの日本のご家庭に届けるために奮闘したのだろうかと考えると感慨深く思うと同時に、【日本の母親はつよし】だと思いました。