中日本アパレルシステムサイエンスとアパレルCADの歴史小話ー4

中日本アパレルシステムサイエンスとアパレルCADの歴史小話ー4

前回はアパレルCADが本格的に普及を開始するための準備段階に、コンピュータにどんな進歩が必要だったかということや、パターンCADが普及する段階に至って、アパレル業界の市況はどう変わっていっていたのかという部分を見てきました。

今回は2000年代のアパレルCADの普及期から今日までの変化と、これからの展望とNASSの取り組みについて書いていきたいと思います。

2000年代からのアパレル・ファッション業界

アパレルCADとしては普及期に入る2000年前後からファストファッションが一気に拡大し、海外で大量のアイテムを安価に製造して、非常にお手頃な価格で洋服を購入できるようになりました。
価格が安くても素材や縫製の品質が上がり、一般消費者やファッション感度の高い人にも幅広く受け入れられていくようになります。


アパレルの生産は企画・型紙データは日本で行って、人件費の安い中国>東南アジアで大量に製造するということがスタンダードになっていったように思います。

1998ZARA:渋谷に日本初店舗オープン
1999GAP:原宿に旗艦店オープン
2000年ユニクロ:50色フリース展開
2008年H&M:日本1号店オープン
2009年Forever21:日本1号店オープン
2012年パキスタンで縫製工場火災事故
2013年バングラデシュで縫製工場崩落事故
2015年国連サミットでSDGs採択


海外生産の初期は生地や資材を送り込んで縫製工程を海外で行うという形態が多かったものの、海外の生地や染色・二次加工の技術が上がってくると、全て現地で賄えるという状況も整っていき、アパレル製品の海外依存度はどんどん上がっていくことになりました。

令和5年 経済産業省製造産業局 生活製品課資料から

こういった大量生産・大量消費に対しての見直す動きが起こり始めたきっかけの一つが、2012年・2013年に世界的にニュースでも報じられた縫製工場の事故です。そして2015年には国連サミットでSDGs(Sustainable Development Goals)が採択さました。

ここからファストファッション企業を含めた多くのアパレルメーカーで、環境を配慮した素材や製造工程・労働者の人権意識も重要視されるようになって現在まで続く流れがあります。

2000年代からのNASSの取り組み

2000年代の中日本アパレルシステムサイエンスは、まだまだ手描きパターンを取り込んでグレーディングを請け負うというサービスが多くを占めていました。

そこから取引先様の要望で、マスターパターン受注やサンプル制作などを少しずつ受注して、協力工場様などにお願いして制作できるようになってきます。なるべく一気通貫して依頼ができないかという流れになってきました。

実はOEM生産がスタートしたのもコロナ禍です。海外で生産することができない状況から、弊社ならばCADシステムやパターンに関連してお付き合いのある国内工場さんとのネットワークを期待されてのご依頼が増えていきました。

昨年から稼働中の新裁断棟

2000年代からのNASSの取り組み

おそらく元々はアパレルのCADやCAMの開発も、大量の生産をどうやって効率良くするかというBtoB課題を解決するためだったものが、現在はクラウドサービスで個人でもパターンソフトを使えるような状況になりました。

そしてアパレル業界ではファストファッションのような大ロット生産と、個人でも独特な世界観の多様なブランドが展開される小ロットに二極化されつつあります。

NASSはそのような変化に応じて自社でパターンを引き、サンプルを作成できるようになり、小ロットの本生産にも対応する人員と裁断工場が整いました。

NASSのポジションは、アパレルメーカー様の要望に細かく応えられることと、製造現場をもっと柔軟に効率よく繋げることができないかと考え続けることが使命だと考えています。企業の理念となっているアパレル業界のHUBとして、もっと活躍できる会社を目指していきたいと、社員一同これからも励んでいきたいと思います。

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